万博記念公園の太陽の塔(2025年に国の重要文化財)
History of Suita, Osaka

吹田の歴史

宮殿の瓦から、1970年万博と太陽の塔まで

太陽の塔が立つ千里丘陵は、1,300年前には都の宮殿の瓦を焼く丘でした。水に恵まれた小さな川港の村が、ビールの町になり、日本初の大規模ニュータウンになり、アジア初の万博の会場になるまで。

8世紀都の宮殿の瓦を焼いた窯(国史跡2か所)
1892アサヒビールが吹田で誕生
6,421万人1970年万博の入場者
2025太陽の塔が国の重要文化財に
吹田(すいた)は大阪市の北隣にある人口約39万人の市です。古代には千里丘陵で須恵器や宮殿の瓦が焼かれ、江戸時代は神崎川の渡し舟と川港で栄えました。1892年にアサヒビールがここで生まれ、1940年に市になり、1962年に日本初の大規模ニュータウン「千里ニュータウン」、1970年にアジア初の万博が開かれました。そのとき岡本太郎がつくった太陽の塔は、2025年に国の重要文化財になっています。

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「吹田」という名前の由来

市の公式見解では、奈良時代の記録にある地名「次田(すきた)」が音の変化で「すいた」になり、形の似た「吹」の字が当てられたとされます。

由来には諸説あります。どれも、吹田が水に恵まれた土地だったことを物語っています。

千里丘陵の地下水は今も豊富で、この「水の良さ」が古代の水の神社と、明治のビール工場の両方を生みました。

古代:都の宮殿の瓦を焼いた丘

5世紀から、千里丘陵は日本有数の焼き物の産地でした。8世紀には難波宮の瓦、794年からは平安京の宮殿の瓦がここで焼かれ、その窯跡2か所が国の史跡になっています。

市内で最も古い人の痕跡は、約2万年前の旧石器(吉志部遺跡)です。弥生時代には垂水(たるみ)に集落ができ、古墳もつくられました。

5世紀に朝鮮半島から須恵器(すえき)という灰色の硬い焼き物の技術が伝わると、千里丘陵ではすぐに生産が始まり、大阪南部の陶邑(すえむら)と並ぶ一大産地になりました。窯の数は丘陵全体で100基を超えたとされます。

その技術は、国の宮殿の瓦づくりへとつながります。

窯跡何を焼いたか
七尾瓦窯跡聖武天皇の時代の後期難波宮(726〜784年)の瓦。この宮の瓦を焼いた窯として知られる唯一の例
国史跡(1980年)
吉志部瓦窯跡794年に始まった平安京(いまの京都)の宮殿の瓦。緑の釉薬をかけた瓦も焼いた
国史跡(1971年)。紫金山公園として公開

水と雨の神をまつる垂水神社は、平安時代の『延喜式』で最も格の高い「名神大社」とされた古社です。7世紀、この地の湧き水を高い樋(とい)で難波の宮まで送った人物が始めたと伝わります。日本最古の歌集『万葉集』の「石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」(志貴皇子)は、この地の滝にゆかりがあるとされ、境内には今も小さな滝があります。

中世〜江戸:貴族の別荘、渡し舟、御所へ届けたくわい

鎌倉時代には都の貴族が別荘「吹田殿」を構え、江戸時代には神崎川の「吹田の渡し」と川港で栄えました。名産の吹田くわいは約200年、京都の御所に献上されたと伝わります。

村々をまとめた庄屋の屋敷が、今も2軒残っています。旧西尾家住宅(1895年上棟の主屋、2009年に国の重要文化財)と、旧中西家住宅(1826年の主屋、国の登録有形文化財)です。旧中西家には江戸後期、多くの画家や学者が滞在して作品を残しました。

明治・大正:ビールと鉄道のまち

1876年に吹田駅が開業し、1889年に設立された大阪麦酒会社(現アサヒビール)が吹田の良い水を選んで醸造所を建て、1892年に「アサヒビール」を発売しました。1923年には「東洋一」と呼ばれた吹田操車場もできました。

市の誕生と、日本初の大規模ニュータウン

1940年4月1日に吹田町など4町村が合併して吹田市が誕生しました。1962年には千里丘陵で日本初の大規模ニュータウン「千里ニュータウン」の入居が始まりました。

吹田市は大阪府で7番目の市として生まれ、1955年ごろまでにほぼ今の市域になりました。

千里ニュータウンは大阪府が進めた日本初の大規模ニュータウンで、1962年9月に佐竹台で「まちびらき」を迎えました。面積1,160ha(吹田市と豊中市にまたがる)、計画人口15万人。住区ごとに小学校と近隣センター(商店街)を置き、歩道と車道を分けた設計は、その後の日本のまちづくりの手本になりました。1967年に開業した阪急北千里駅には、日本で初めて自動改札機が置かれています。

ニュータウンのすぐ隣で開かれたのが1970年の万博です。千里ニュータウン情報館は、この2つを「双児の未来都市」と呼んでいます。万博が遠い未来の姿を見せ、ニュータウンは実際に住める未来を形にしたからです。

1970年、アジア初の万博

日本万国博覧会(大阪万博・EXPO'70)は1970年3月15日から9月13日まで、吹田市の千里丘陵で開かれたアジア初の万博です。テーマは「人類の進歩と調和」、入場者は6,421万8,770人でした。
会期1970年3月15日〜9月13日(183日間)
会場吹田市・千里丘陵(330ha)
テーマ人類の進歩と調和
参加76か国・4国際機関ほか(開催国を含めると77か国)
入場者6,421万8,770人。当時の万博史上最多

アメリカ館ではアポロ12号が持ち帰った月の石が展示されました。電気通信館の「ワイヤレステレホン」(携帯電話の原型)、テレビ電話、動く歩道のほか、缶コーヒーやファミリーレストラン、ケンタッキーフライドチキンも、万博をきっかけに多くの日本人に知られるようになりました。

会場への足として北大阪急行や中国自動車道、新御堂筋などが整備され、今の吹田の交通網の土台になっています。会場の中心には建築家・丹下健三の「大屋根」がかかり、その屋根を突き抜けて立っていたのが太陽の塔です。

太陽の塔:岡本太郎が残したもの

太陽の塔は芸術家・岡本太郎が万博のテーマ館としてつくった高さ約70mの塔です。閉幕後も永久保存が決まり、2018年に内部公開を再開、2025年8月27日に国の重要文化財に指定されました。

岡本太郎(1911〜1996)は、「進歩と調和」を掲げる万博の真ん中に、あえて原始的で力強い塔を立てました。大屋根の模型を見て、屋根に穴を開けて塔を突き抜けさせたという話はよく知られています。

顔場所意味
黄金の顔てっぺん未来
太陽の顔正面のおなか現在
黒い太陽背中過去
地底の太陽万博当時の地下展示閉幕後に行方不明になり、2018年に復元

塔の中には、単細胞の生き物から恐竜、人類までの進化をたどる高さ約41mの「生命の樹」があります。

初代の「黄金の顔」は、公園内のEXPO'70パビリオン別館で実物を見られます。内部見学の予約と料金は太陽の塔の予約ページにまとめています。

万博のあと:公園、博物館、スタジアム、健康のまち

会場跡は1972年に万博記念公園になり、1977年に国立民族学博物館が開館しました。2015年には寄付金で建てたサッカースタジアムとEXPOCITYが生まれ、旧操車場の跡地は健康・医療のまち「健都」になりました。
いまの千里丘陵。中央に太陽の塔、右手前にパナソニックスタジアム吹田
いまの千里丘陵(suita.cityの3Dマップ)。中央が太陽の塔、右手前がパナソニックスタジアム吹田。

年表

吹田の歴史を、訪れる人に関わりの深い出来事にしぼって並べました。
年出来事
約2万年前吉志部遺跡で石器が使われる(市内最古の痕跡)
5世紀千里丘陵で須恵器の生産が始まる
7世紀垂水の水を難波の宮へ送り、垂水神社が始まったと伝わる
726〜784年七尾瓦窯で難波宮の瓦を焼く
794年〜吉志部瓦窯で平安京の宮殿の瓦を焼く
1251年後嵯峨上皇が別荘「吹田殿」を訪れる
1571年吹田城の吹田氏が滅ぶ
1683年〜吹田くわいの御所への献上が始まったとされる
1826年旧中西家住宅の主屋が建つ
1875年吹田の渡しに代わって橋が架かる
1876年吹田駅が開業
1889年大阪麦酒会社(現アサヒビール)設立
1892年「アサヒビール」を発売
1922年関西大学が千里山へ移転
1923年吹田操車場が操業開始
1940年4町村が合併し吹田市が誕生
1962年千里ニュータウンのまちびらき
1970年日本万国博覧会(6,421万人)
1972年万博記念公園が開園
1975年太陽の塔の永久保存が決まる
1977年国立民族学博物館が開館
1990年大阪モノレールが開業
1992年吹田市立博物館が開館
2009年旧西尾家住宅が国の重要文化財に
2015年市立吹田サッカースタジアムとEXPOCITYが完成
2018年太陽の塔の内部公開が48年ぶりに再開
2020年中核市に移行、市制80周年
2025年太陽の塔が国の重要文化財に

歴史を歩く:今も見られる場所

太陽の塔と万博記念公園のほか、古代の窯跡と市立博物館、江戸の庄屋屋敷、アサヒビールの工場ミュージアムで、吹田の歴史を実際に見られます。
場所見られるもの最寄り駅
太陽の塔・万博記念公園塔の内部(予約制)、初代の黄金の顔、万博の遺産大阪モノレール 万博記念公園
国立民族学博物館世界の暮らしの道具(公園内)大阪モノレール 万博記念公園
吹田市立博物館・紫金山公園吉志部瓦窯跡(国史跡)、古墳の出土品、万博資料JR 岸辺
旧西尾家住宅国の重要文化財の庄屋屋敷と庭園JR 吹田
旧中西家住宅江戸後期の庄屋屋敷(無料公開)JR 岸辺
垂水神社『万葉集』ゆかりの湧き水と小さな滝阪急 豊津
アサヒビール ミュージアム発祥の地の工場見学と試飲JR 吹田

公開日・料金・予約方法は施設ごとに違い、変わることがあります。出かける前に各施設の公式サイトで確認してください。駅の場所は吹田市の駅とバスにまとめています。

よくある誤解

「大阪万博」は1970年(吹田)と2025年(夢洲)の2つがあり、場所が違います。太陽の塔は1970年の万博のもので、2025年の会場にはありません。

吹田の歴史 Q&A

吹田市はいつできましたか?

1940年(昭和15年)4月1日です。三島郡吹田町・千里村・岸部村と豊能郡豊津村が合併して、大阪府で7番目の市として誕生しました。

「吹田」はなんと読みますか? 名前の由来は?

「すいた」と読みます。市の公式見解では、奈良時代の地名「次田(すきた)」が音の変化で「すいた」になり、形の似た「吹」の字が当てられたとされます。ほかに水田説・深田説などもあります。

1970年の大阪万博はどこで開かれましたか?

吹田市の千里丘陵です。会場跡は万博記念公園になっていて、太陽の塔が今も立っています。2025年の大阪・関西万博(大阪市・夢洲)とは別の場所です。

1970年の万博には何人来ましたか?

6,421万8,770人です。当時の万博史上最多で、会期は1970年3月15日〜9月13日の183日間でした。

太陽の塔は誰がつくりましたか?

芸術家の岡本太郎です。1970年の万博のテーマ館としてつくられ、高さは約70mあります。

太陽の塔は重要文化財ですか?

はい。2025年8月27日に国の重要文化財(建造物)に指定されました。それ以前の2020年には登録有形文化財になっていました。

太陽の塔の中には入れますか?

入れます。2018年から内部を公開していて、事前予約制です。中では進化をたどる「生命の樹」を見られます。料金と予約方法は太陽の塔の予約ページをご覧ください。

アサヒビールは吹田で生まれたのですか?

はい。1889年に設立された大阪麦酒会社(現アサヒビール)が吹田村に醸造所を建て、1892年に「アサヒビール」を発売しました。吹田が選ばれたのは、醸造に適した良い水と交通の便があったからです。今もアサヒビール吹田工場とミュージアムがあります。

千里ニュータウンとは何ですか?

1962年にまちびらきした日本初の大規模ニュータウンです。吹田市と豊中市にまたがる1,160haに計画人口15万人の住宅地をつくり、その後の日本のまちづくりの手本になりました。

吹田で一番古い史跡は何ですか?

国の史跡では、8世紀に難波宮の瓦を焼いた七尾瓦窯跡と、794年からの平安京の瓦を焼いた吉志部瓦窯跡があります。人の痕跡では、約2万年前の石器が見つかった吉志部遺跡が市内最古です。

吹田の歴史を学べる場所はどこですか?

吹田市立博物館(JR岸辺駅から徒歩)が古代から近代までを通して紹介しています。万博については万博記念公園内のEXPO'70パビリオン、太陽の塔の内部、国立民族学博物館で知ることができます。

最終確認日: 2026-09-25 出典:吹田市公式サイト(沿革・吹田の歴史)、文化庁 文化遺産オンライン、万博記念公園・太陽の塔公式、大阪府、アサヒビール公式(お客様相談室)、千里ニュータウン情報館などの公開情報。「〜と伝わる」「〜とされる」と書いたものは、伝承や一つの説です。災害・事件などは扱っていません。
参照した公式情報:吹田市の沿革(吹田市) · 古代〜近世(吹田市) · 近現代(吹田市) · 七尾瓦窯跡(文化遺産オンライン) · 太陽の塔の重要文化財指定(万博記念公園) · アサヒビールはいつできたか(アサヒビール) · 垂水神社